「キングダム」信は史実でどんな人物だった?信と本物の李信の違い

「キングダム」信は史実でどんな人物だった?信と本物の李信の違い

『キングダム』の主人公・信は、最初こそ下僕の少年として登場しましたが、物語が進むにつれ数々の戦場で武功を立て、大将軍の道を駆け上がっていきました。

ただ、史実に記録されている「李信(りしん)」は、漫画の信とはかなり印象が異なります。

史実の李信はどんな人物だったのか、そして“本物の将軍”として歴史に何を残したのかを掘り下げていきます。

私自身、キングダムを読みながら「史実の信って本当にこんなに熱い人物だったのだろうか」と思ったことが何度もあります。

漫画の熱量と歴史の冷静さ――その間にあるリアルを探す作業は、まるで信の夢を現実に照らすような感覚です。

 

目次

漫画「キングダム」における信とは

漫画『キングダム』の信は、物語の中心を貫く存在です。

戦乱の時代を駆け上がるひとりの少年として描かれ、成り上がりと成長の象徴として物語の心臓を担っています。

下僕出身という身分の低さから始まりながらも、どんな苦境にあっても「天下の大将軍になる」という夢を口にし続ける姿は、物語の原点であり続けています。

信のキャラクターは、戦国の現実と理想を結ぶ“架け橋”のような存在です。

冷静な将軍が揃う秦の中で、信だけはいつも感情を剥き出しにして戦場を駆けます。

仲間を守り、部下を信じ、敵に向かってまっすぐ突っ込む。

そんな熱量のある行動が、時に無謀でもあり、同時に人間らしい美しさを放っています。

 

信の原動力と仲間との関係

信の強さの根源は「仲間を想う心」にあります。

王騎との出会いによって本物の“将軍”の意味を知り、羌瘣や河了貂との絆を通じて「軍を率いる責任」を学んでいきます。

初期はただの猪突猛進な青年に見えますが、仲間を守るための戦略を考え、兵を信じて命令を下す姿へと変わっていく。

その成長過程が、読者にとって一番の共感点になっていると思います。

戦場での信は常に感情を軸に動きます。

怒り、悲しみ、喜び、そして覚悟。

それらすべてを武器にして戦う姿は、現実の戦術論では説明できない力を感じさせます。

私はこの「理屈ではなく心で動く信」にこそ、キングダムという作品の真髄があると感じます。

 

理想主義と現実主義の狭間

信は、理想主義と現実主義の間で常に揺れ動く人物です。

正義のために戦いたいという理想と、国のために人を殺さねばならない現実。

その矛盾を抱えながら、それでも前に進む姿が魅力のひとつです。

例えば、桓騎のような“闇の戦略”を受け入れられず、同じ戦場にいながらも価値観が真逆に描かれます。

その一方で、王翦や昌平君のような戦略家からは「感情的すぎる」と評されることも多い。

それでも信は、自分の信念を曲げません。

「人の命を守るために戦う」という理想を現実の中で形にしようとする姿が、他の将とは違う光を放っています。

信の言葉には、いつも矛盾があります。

“戦いたくないけど戦う”“命を奪いたくないけど勝つためには奪う”。

その矛盾を抱きながら生きることこそ、人間の本質を描いているのかもしれません。

 

「キングダム」の史実における李信とは

史書『史記』によると、李信は秦の将軍として実在した人物です。

しかし、漫画のように“王騎や羌瘣と肩を並べて戦った若者”という描写はありません。

史実ではすでに成熟した将軍として登場し、紀元前230年代から秦の統一戦争で重要な役割を果たしていました。

 

李信の出自と登場時期

史実における李信の出自は明確ではありません。

『史記』では李信の家系や生まれについては一切触れられておらず、どこの出身かも不明です。

それでも“秦王政(のちの始皇帝)に仕えた忠実な将軍”として名を残しており、若くして重用されたことがわかります。

『キングダム』で描かれるように「貧しい下僕の出身」という設定は、原泰久先生による創作です。

ただ、信が下層民から頂点を目指す姿は、秦という国そのものの在り方――“血統ではなく実力でのし上がる時代”を象徴しているように思います。

もし信のモデルが本当に李信だとすれば、その原型には“努力で選ばれた将軍”という史実の空気が息づいているのかもしれません。

 

李信の功績と秦統一戦争

史実の李信が本格的に登場するのは、趙や燕を滅ぼす戦いの時期です。

紀元前229年、李信は王翦(おうせん)とともに趙を攻め、趙王の幽繆王を捕らえました。

この戦が趙国滅亡の引き金となり、秦の中華統一への道が大きく開かれることになります。

さらに紀元前226年には燕を攻め、燕王喜を破り、燕の首都・薊(けい)を落としました。

つまり李信は、秦の北方制圧における中心的な将軍だったのです。

このあたりは、漫画で描かれる信の“李牧との因縁”や“北の戦い”の伏線としても重なります。

私がこの史実を読んだとき、思わず息を呑みました。

下僕出身の少年が夢見た“天下の大将軍”という理想が、史実の李信の姿に確かに重なって見えたからです。

 

「キングダム」李信と李牧の関係

『キングダム』では李牧と信の因縁は非常に深く描かれています。

しかし、史実において二人が直接戦ったという記録は存在しません。

李牧は趙の名将として、紀元前229年に王翦ら秦軍と対峙していましたが、この時期に李信が前線で指揮をとっていたかどうかは明確ではありません。

 

李牧の死と李信の登場

李牧は趙の宰相郭開の裏切りにより、冤罪で処刑されたと伝えられています。

つまり、李信が趙を攻めた時には、李牧はすでにこの世にいなかった可能性が高いのです。

漫画のような「李信VS李牧」という激突は、史実ではありえない構図です。

ただ、李信が李牧の戦略を引き継ぐ形で趙を攻めたと考えると、間接的な“対決”といえるかもしれません。

李牧の築いた堅牢な防衛線を、李信と王翦が崩した。

そう考えると、物語としての“因縁”が少し現実に近づいて見えてきます。

 

李信と王翦の関係

史実では、李信と王翦の関係が非常に興味深いです。

二人は共に秦の中核将軍として活躍しましたが、指揮官としての哲学が正反対でした。

王翦は慎重かつ冷静、無理な戦は絶対にしないタイプ。

一方で李信は若く、勢いと理想で戦う勇将だったと記録されています。

これはまさに『キングダム』の信そのものです。

王翦が「現実」を見据えるのに対し、李信は「夢」を追う。

史実でもその構図は崩れておらず、最終的にこの二人の違いが運命を分けることになります。

 

「キングダム」の史実の李信の最期

史実の李信は、秦が楚を攻めた際に致命的な敗北を喫しています。

紀元前224年、秦王政は楚を滅ぼすため李信と蒙恬に20万の兵を与えました。

李信は自信満々に出陣しますが、楚の将軍・項燕の奇襲を受け大敗。

十数万もの兵を失って撤退することになります。

この敗北の後、秦王政は李信を更迭し、王翦に60万の兵を託して楚を攻めさせました。

結果、王翦は楚を滅ぼし、中華統一への道を完成させます。

李信にとってこの敗戦は人生最大の屈辱だったでしょう。

ただ、史記には「李信はその後も秦に仕え続けた」とあります。

つまり、失敗しても立ち上がり、戦い続けた将軍だったのです。

私はこのエピソードに強く惹かれます。

信は「夢を諦めない男」だと漫画の中で何度も語られますが、その根底にはこの史実の李信の姿があるように思うのです。

失敗を恐れず、敗北を糧にして前に進む。

そこにこそ、“本物の将軍”の姿があるのかもしれません。

 

李信と“本物の将軍”の違い

史実の李信は優れた武勇を持つ一方で、戦略面ではまだ未熟だったと記録されています。

それに対して、王翦や蒙恬は冷静で慎重な判断を得意としていました。

つまり、“信は勇将、王翦は智将”という構図がそのまま史実でも再現されているのです。

『キングダム』では信が経験を重ねるごとに戦略家として成長していく姿が描かれています。

史実の李信は、その“成長途中”で歴史から姿を消した将軍。

もし彼がもう少し長く生きていたなら、秦の歴史をさらに変えていたかもしれません。

 

まとめ

『キングダム』の信と史実の李信は、確かに違う人物のように描かれています。

しかし、その根底には共通した“情熱”と“志”が流れています。

史実の李信は中華統一に貢献しながらも、楚との戦で敗れたことで頂点を逃しました。

一方、漫画の信はその歴史の穴を埋めるように、“敗れても立ち上がる者の強さ”を描いています。

信は理想の中に生き、李信は現実の中で戦った。

その違いが、史実と物語の最大の対比なのだと思います。

史実を知ると、漫画の信のセリフや決断の一つ一つが違う重みを持って響きます。

どちらも“天下の大将軍”を目指した男。

血の通った人間としての信が、これからどんな道を歩むのか、物語の続きを見守りたいと思います。

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